社長ブログ”千客万來”

世襲は悪か

自民党議員の世襲が問題になっている。
議員の後継候補が子息になる例が後を絶たない
という。
なぜ政治家は自分の子供に自分の仕事を継がせたいのか。
政治家ほど個人の能力が問われる仕事はないだろう。
誰がやっても同じではないはずである。親子とはいえ所詮は別人である。
本来世襲というものがあまり馴染まない仕事かもしれない。


それでは商売における世襲はどうか?
商売の場合は家業であり、家族が代々築いてきたノウハウを繋いで行くものであり、
世襲が子孫繁栄をもたらすものと考えられてきた。
子供たちは暗黙の了解で父の背中を追いかけ、商売を継いで当たり前と思っていたし、
周囲からもそれを期待されていた。
それが、世間から見れば楽をしているように見られるかもしれないのだが。


しかし、実際に後を継いでみると精神的にも肉体的にも大変である。
親の頃とは時代も変わり、後継者は生き残りに必死である。
その中で、会社が倒産してしまった知人もたくさんいる。
それらの多くはまじめな努力家である。浮かれて放漫経営したものなど殆どいない。
そんな厳しい経営環境の中で、親は安易に子供に事業継承を託せない時代である。


子供が親の職業に憧れるのは何も政治家や経営者だけではない。
どのような職業であれ子供が最初に興味を持つのが親の仕事ではないだろうか?
実際に親と同じ職業を選択した人はたくさんいる。子供は世襲という感覚が無く親の職業に興味を持つのだと思う。


不況とは言え、今の日本は豊かである。
人は安定を求め、起業をしたり、国のために身を尽くす人が少なくなってきている。
口先ばかりの人間が増えている中、たとえ親の七光りであろうと、
「なりたい」と思って行動を起こす人は貴重である。
一所懸命生きてきた親なら、その気持ちは嬉しいだろうし、チャンスを与えたいと考えるのは自然ではないだろうか?
しかし、その資質があるかどうかの判断に私情をはさんではいけない。
なぜなら、その決断が国民や社員の人生を左右するからである。 

吉澤 比佐志

ロンドンオリンピックで感じたこと

ロンドン五輪が閉幕した。日本は過去最多のメダルを獲得した。
金メダルが期待値を下回ったとは言え、立派な成績だと思う。
しかし、開幕当初は期待された結果が出ず、自分の成績に満足できない選手が、
「このメダルでは意味がない」等のコメントをして、応援する人たちの気持ちを暗くした。
気持ちはわかるが、それは負けた相手に失礼だと思うし、どこかに慢心があったのではないかと思う。
見ている者は勝利に期待をするが、それが全てではない。
人は皆いろんな形で負けを経験しており、勝ち負けよりその選手の生き様に共感をするのではないだろうか。
言葉の大切さをこれほど感じたオリンピックはない。

一方、サッカーの女子は、ワールドカップの優勝に続いてオリンピックでも金を期待されていたが、
多くの人はそれがそれほど容易ではない事を感じていたと思う。
しかし、その不安をことごとく裏切り、負けはしたが銀メダルを取った。
彼女たちのコメントに悔しさは滲んだが、それ以上にどれもさわやかで、
達成感や感謝の気持ちに溢れていた。
何より試合内容が素晴らしかった。
表彰式の笑顔は国民の心にいつまでも刻まれるだろう。

言葉や表情の与える影響力というのは、とても大きい。言葉にその人の価値観や人生観が現れる。
ネガティブな言動は所詮誰の気持ちも動かさないし、いつかは忘れられてしまう。
一方、笑顔と感謝に満ちた言葉はいつまでも心に刻まれる。

オリンピックのメダリストは殆どが湯気が上がるような若者である。
しかし、その言葉には、我々が学ばなければならない事が溢れている。
何より彼らは言葉の持つ重さを知っているように感じる。
些末なことで腹を立て、言わなくてもいい事を言って周りを暗くしてはいないか?
一所懸命頑張っている人に励ましや感謝の言葉を言っているか?
毎日を感謝で生きているか?
オリンピックの感動を振り返りながら、今一度自分に問い直してみたい。


吉澤 比佐志

家族的経営

 日本が高度成長期にあったころ、企業は運動会社員旅行、リクリエーション等を頻繁に行っていた。
私が社会人になった30年余り前も、休日にそれらのイベントに引っ張り出されることが多く、
それに加えてクラブ活動も盛んで経験もないヨット部の練習に参加したりした。
毎日夜中までの仕事が当たり前だったので、休日くらいは休みたいとも思ったが、
先輩たちの面倒見も良く、家族のような安堵感があり社員同士の連帯感は強かった。
しかし、最近は「会社は会社、プライベートはプライベート」という傾向が強くなり、
参加者が減った為に社員旅行を廃止した企業も多いと聞く。
私自身もかつてのファミリー感覚の会社は、日本的なものと考えていた。
ところが、いまアメリカの新興企業では、かつて日本の企業で盛んだったバーベキュー大会、社内飲み会など、社員同士の付き合いを盛んに行い会社内のコミュニケーションの良化を図っているという。
靴の通販で有名なザッポス社では独立記念日やハロウィン、サイトのリニューアルといった行事ごとにバーベキューパーティや仮装コンテストが行われているそうだ。
社員からは「イベントを通じて、ザッポスファミリーとしての一体感を持てるのがよい」といった意見も多く聞かれるそうだ。
またザッポス社はオフィスがまるで学校祭のようにデコレーションされており、社員食堂では、食事・飲み物・お菓子などはほぼすべて無料。
食堂スペースは、カラオケ大会や詩の朗読会にも使われることが多いそうだ。社長のトニー・シェイは社長の仕事として最も大切なのは、
企業の風土作りと考え、社員が満足して働ける環境の提供に腐心しているという。
 日本的な家族的経営が高度成長を支えたとは言わないが、
社内の連帯感や良き企業風土の醸成に役立っていた事については否定できないと思う。
ザッポスの社員が言うところのファミリーとしての一体感が良い仕事やサービスを生み出していたと思う。

県トラは今年「濃い会社」になる事を標榜している。
社内飲み会や社員旅行、バーベキュー大会などを盛んに行い、
社員同士の心の触れ合いの場を持ち、
強いチームワークを作り出したいと感じている。
そして県トラファミリーである事を誇りに持てるような職場の環境作りをして、従業員の満足を引き出し、
その結果お客様に喜んで頂ける仕事ができる会社になりたいと思う。その為の家族的経営の復活である。



吉澤比佐志

軽油価格上昇に思う

今年に入って、軽油価格がかなりの上昇を続けている。
ひと昔前の 価格が安定していた頃に比べると、リッター当たりで50円高い。
長距離の大型トラックで、コストの増加を考えてみると、

仮に 月間走行距離が8,000kmで、
燃費がリッター当たり3.5kmと仮定すると
燃料使用量は約2,300Lとなり、
経費が115,000円/月上昇 した事になる。

経費全体が10%上昇したと言っていい。
大型トラックを 100台保有している企業なら、年間1億3800万円のコスト増となる。
これを吸収するのは並大抵のことではない。
実際に倒産や廃業に 追い込まれた同業者は多くいるし、今後更なる価格上昇が懸念され、皆戦々恐々としている。
トラック協会では荷主に対して、サーチャージの要請をするようにと指導しているが、運送業者の足並みがそろっていない事も事実だ。
勿論、必要に応じて荷主企業の方たちとは、是々非々の 話し合いが必要だと考えている。

  しかし、ここで見過ごすことができないのは、何故上がるのかという事だ。
価格の変動の原因は中東情勢でも、需給でもなく、過剰流動性による マネーゲームによるものだと言って過言ではない。
行き場を失った金が投機 に向かい金や商品の価格を押し上げている。そのつけを払わされているのが、我々だと思うと、何ともやりきれない。
必死の思いで支払った燃料費は投機の世界で泡の様に消えて行く。
かつて、軽油価格の変動は湾岸戦争 などの有事に限定されており、経営者にとって収益を考える場合は比較的固定的にみる事ができたが、
今は輸出企業の為替のように、評価の見誤りが命取りになる。
車さえ持っていれば稼ぐ事の出来た時代から見たら、隔世の感が有る。

 しかし、この状況も永遠に続くわけではない。
悲観論の中では何も生まれないのだ。
どんなに厳しい時代でも、お客様に必要とされる会社になればいい。
そこに希望の光が有る。
そして、県トラはいつもそれを 目指して行動している。

危機に備える

 今年に入り日本列島は強い寒波に襲われ、厳しい寒さと 降雪が続いている。
東日本大震災を被災され防寒対策の不充分さが懸念される仮設住宅で生活をされている方々はどうしておられるか気にかかる。

 この度の大震災の特徴は 大規模な津波の発生で、それによってたくさんの人が 命と住む家を失ったことだ。
しかし、それははじめて日本を 襲ったわけではなく、たかだか百年の間にその記憶が 風化して行ったにすぎない。
先日ある本で、岩手県の普代村は15.5メートルの防潮堤と水門が有ったため、
死者も住宅の 被害も全く無かった事を知った。
ネットで検索してみると、 驚いた事にこれに関する報道が大変少ない。
Youtubeに投稿 された報道番組を見ると、
大学教授はこんなものは作るのも維持するのも大変なので、一概にいいとは言えない
と述べ、 コメンテーターは有ると安心して逃げないから無いと方が いいと言っていた。

当の普代村でも建設に関しては、喧々諤々あったようだが、当時の村長が、
過去に2度の15メートルの 津波の襲来で多くの村民を失った教訓から、
反対する県や議会を 粘り強く説得して建設に漕ぎつけた
という。
今、難を逃れた村民は 村長の墓を訪れ手を合わせている。
防潮堤があって本当に良かったと感じていると思うし、
仮設住宅におられる人達は 「おらが村にもあったなら」と思っておられるだろう。

 今回の震災の反省点は、当事者が災害に対して希望的観測で対策を立てていた事にあると思う。
事業仕訳などを見ていると よくわかる。
しかし、経営における危機管理はそれではいけないと思う。

もし、大恐慌が起きたらその時考えましょういやそんなものは起きるわけはないではだめなのである。
常に最悪の シナリオを想定し、それでも被害が最小になるよう常に準備して いなければならない。
悪い事はいつ起きるかわからず、起きると それが重ねて起こるのが常だからである。
経営には高すぎると 思われる防潮堤が必要なのである。

吉澤 比佐志